お寺日記

平成25年 1月上旬

2013年1月10日(木)
書道
年が明けてバタバタしているうちに10日たちました。
今年も一日一日を大切に過ごしていきたいです。

昨日は書道の日でした。
近所の門信徒の先生に習っています。
上は今月の掲示板です。
お寺でお配りしている直往会のカレンダーに載っていた言葉です。

下は重誓偈を写経したものです。
只今練習中です・・・
一字一字丁寧に書くのは大変ですが、静かに集中して書いていると
心が落ち着いてきます。
春頃には作品にできるよう頑張ります。
                   (西神支坊若坊守)
2013年1月6日(日)
「ぼくたちのムッシュ・ラザール」見ました!
見終わって、ウウッと声が漏れるほど泣いた・・・。

久しぶりです、一生ものの映画に出会えたのは。

死を切り離して生を考えることは出来ない。この普遍的なテーマを直球で投げかける作品でした。

家族を失って亡命申請する小学校教師ラザール。担任が自死するという難しい状況のクラスを自ら引き受けます。

こう書くと、非常に特殊な背景にも思えますが、海の向こうでも日本と同じような問題が起こっています。

保護者の苦情に振り回される教師。
その苦情あるが故に、腫れ物に触るように子どもを扱わなければならない教師の苦悩。

死を語ることは子どもを傷つけるために禁止とし、カウンセラー相手にしか死を話してはいけない、とする校長。

私は、教師ではない為、学校の内部の事情を肌に触れては知りません。しかし、死にいたるようないじめなど重大な事件が学校で起こると、カウンセラーが派遣されるということは今やニュース等で周知の事実です。そのこと自体、非常に有効な対策だからなのでしょう。

しかし、映画の中でラザールさんは疑問を投げかけます。死はカウンセラーでしか対応できないのか?、と。その懸念通り、映画の中で子どもたちは、カウンセラーによって十分な対応を受けたようには描かれていません。カウンセラーは、ラザールにアドバイスします。「この教室には彩りが足りません」、と。教室の色彩などの雰囲気作りによって生徒たちの気が落ち着く、ということを意図したのでしょうか。

数年前に、カウンセラーである小沢牧子著の『こころの専門家はいらない』という著作を読みました。学校内に限らず様々な人生の問題を、何でもこころの専門家に丸投げする風潮を危惧しておられます。大切なことは、死や離婚など重大な人生上の危機を、まず親子、夫婦など当事者同士が話し合うことであると指摘しておられます。当事者が直接ぶつかり合うことを避けるていること自体に根本的な問題がある、と。

死を生徒たちと正面から語り合おうとするラザールさんは、校長や保護者の苦情の前に心が折れかけます。子どもたちを傷つけるな、波風を立てるな、と。

しかし、その状況に一石を投じたのは、他ならぬ子どもたちでした。

担任の死を語りたい。あの死は一体、何だったのか。自分の人生にどういう意味があったのか。分かりたい。語りたい。わかり合いたい。語り合いたい。

いや、死は担任の先生だけではない。身内にも亡くなった人がいるぞ・・・。

その子どもたちの素直な心に、ラザールさんはハット気づかされます。やはりを死を語らねば。語り合おう、と決断します。死を語ることは、亡くした妻や子どものことを語ることでもあるのだから。

結果、現実は厳しく、この決断を指示する人は多くありませんでした。ラザールさんは、教師を罷免されます。

しかし、ラザールさんの心は、子どもたちに響きます。

悲しい死があるのは何故なのか。
それは、愛し愛されたあかしなんだよ。

教え子との抱擁で終わるラストには、
死を通して心通じ合えた人間同士のあたたかさに満ちていました。

仏教の言葉「愛別離苦(あいべつりく)」。
別離する苦しみがあるのは何故か。
それは愛したからですね。 (悠 水)

2013年1月4日(金)
お供えのお餅を切りました!

皆様、本年もよろしくお願い致します。

あっという間に三が日が過ぎましたね。

お正月用のお飾りを解いて、例年通りのお餅切りをしました。

大きなお餅は、早く切らないと固くなってしまいますからね!

いやー、結構力が要ります、よっ!!。(悠水)