仏事の意義
「法名」とは、「法」つまり阿弥陀如来様のお心・お救いの中に生き死んでいく者、仏様のお弟子としての「名」という事です。このような意味から、阿弥陀様を表す、讃える文字を用いて「釈(しやく)○○」(女性の場合「釈尼(しやくに)○○」もあり)と名付けられます。直接的に、故人の人徳、社会的地位などを表すものではないことに注意しましょう。仏事は、何事も阿弥陀様が中心、主役ですから。
世間では、「戒名」という言い方が聞かれた方も多いでしょう。「戒名」は、「法名」という大きなくくりの中の一形態です。「法名」は仏様のお弟子全体を指しますが、「戒名」はお弟子の中でも特に「戒律を遵守する」ということに力点を置いた名です。いずれにせよ、本来はその意味の通り、生前に名を頂くべきで、仏様の教えをより所に生きる決意の表れです。法名受式についてはお寺まで。
目次: 仏事の意義、葬儀について.
特に浄土真宗のご法事では、「お経をご一緒に読みましょう」と僧侶から勧められ、お経本を手に取られる機会があるでしょう。一般には、お経を読む僧侶、静かに聞いている親族というイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
しかし、僧侶か否かに関わらず仏様のお心が説かれているお経に親しんでいくことは大切なことです。先ずは、お経の本を手に取り、言葉を眺めているだけでもよいのです。耳にしたことのある仏教語や繰り返される言葉などを見れば、少しずつその内容へと興味が湧いてくることもあるでしょう。聞くだけでは聞き流してしまいがちになることも、文字として見るとお経の内容、仏様のお心の一端に触れることが出来ます。
目次: 仏事の意義、法事について.
過去帳とは、読んで字の如く「過去の帳(記録)」ということで、お浄土に先だった方々の記録が記されているものです。私達の宗派では標準的に用いられています。一方、位牌とは中国の儒教を起源とするもので、生前の社会的地位や氏名を記して、亡くなった本人の魂がそこに宿っているという見方をします。つまり、故人を儒教の孝(こう)(親孝行の孝)の観点から、位牌そのものを生前の故人に仕えるように尊崇することが第一の目的です。
最初に浄土真宗では、過去帳を用いると書きました。これは、位牌を積極的に用いないということでもあります。先に述べたように、位牌は故人を主役とするものです。しかし、お仏壇での主役はあくまで阿弥陀如来様です。故人はその阿弥陀様のお浄土へ往かれたお方としての位置付けなのです。その意味から、亡くなった方々には少しご遠慮頂いて、位牌ではなく過去帳に記された形となっています。だからこそ、最上段に阿弥陀様、最下段に過去帳をご安置するのです。故人、ご先祖の方々、そして私達が往かせて頂くお浄土の主を最大限の表現でお敬いするという主旨を大切にしたいものです。
目次: 仏事の意義.
誤りです。私たちは、ご本尊を敬って手を合わせるのであって、直接的に故人様を崇拝するのではありません。極楽浄土の主である阿弥陀様が、故人と私達をお浄土へとお救い下さることに思いをはせる心持ちで手を合わせるのです。位牌だけの場合、全くこの趣旨を反映していませんので間違いなのです。
もし、お仏壇を継承する人が居ないということで、お仏壇の所有を逡巡している場合は、お寺の過去帳に永代に安置するという方法もあります。ご相談下さい。
目次: 仏事の意義.
ご法事はしましょう。お仏壇も求められて下さい。
浄土真宗の門徒(檀家)さんが、【他宗派の考え方】である「永代供養」を混同することが最近、大変目立ちます。【浄土真宗に永代供養はありません。】
浄土真宗の見方から言えば、一般的なお墓や永代墓などの納骨の形態に関係なく、お仏壇を迎えてご法事を継続して勤めていきます。先立った故人様を含め、私たちを極楽浄土へお連れ下さる阿弥陀様のお心を聞く(「聴聞」と言います)のがご法事の意義です。また、この事を日常生活の中で思い手を合わせつつの場所が得る事がお仏壇を迎える意義です。
しかしながら、この阿弥陀様のお心は一朝一夕には受け止めきれないのが人である故に、お仏壇を迎え、法事等のご縁を通して時間をかけて聞き続けていくことが伝統的に推奨されています。この為、納骨をしたから法事をしない、お仏壇を持たないというのは、お墓とお仏壇を混同して、かつ聴聞をしないでもいいということになり、浄土真宗のお仏事の本来の意義を根底から受け入れないという姿勢のように見受けられます。
以上のような訳合いから、お墓の納骨とお仏壇・ご法事のことは分けて考えてください。浄土真宗の本来の仏事をお勤めしていただきたく、ご理解いただければ幸いです。もし、何らかの事情のためにお仏壇、ご法事の縁を持てない場合は、お寺の過去帖に故人様のお名前をご安置し、お寺に御一任下さる方法もあります。ご相談ください。
目次: 仏事の意義.
法事、お葬式等々で経が読まれるお参りとは、他のご回答でも解説しているように、阿弥陀様の救いを喜ぶということが最も大切な意義です。このため、読経と法話があるのです。その意義を中心として、亡くなった人を偲びつつ、その故人をお浄土に連れ往かれた阿弥陀様のお救いに思いを馳せる。そして、故人だけではなく、この私も同様に連れ往(ゆ)いて下さることに思いを致す。これがお参りする意義です。お坊さん不在の追悼の集い全般には、この意義が含まれていないのではないでしょうか。
目次: 仏事の意義.
・一対のろうそく立てと花瓶(通常は一つずつ)
・お焼香セット(抹香・抹香入れ・焼香炭)←特に忘れがちです!
・御仏飯(御本尊の前にお供えします。容器があれば、両脇も併せて三つご用意ください)
・お供え物(お仏壇中にある、器や供物台に餅・お菓子・果物等左右対称に配置頂きます)
・お念珠/お経本(できるだけご持参下さい。無ければ当寺やお仏壇屋さんへお問い合わせください)
・灯籠/廻り灯籠 (あればお供えして下さい。改めて購入の必要はありません)
また、ご法事の際、僧侶は正装にてお参りさせて頂いております。服装についてはラフすぎない格好でご参列頂けますよう、ご考慮ください。
目次: 仏事の意義、法事について.
初盆のお供え物は、慣習や地域により異なりますが、一般的には以下のような物が選ばれています。
【乾物類】
椎茸・昆布・高野豆腐・そうめん・かんぴょう(詰め合わせのパックでも可)
【野菜類】
トマト・トウモロコシ・ナス・ささげ・キュウリ・ほおずき等
【その他】
お菓子・果物・餅、提灯(中陰の廻り灯籠でも可)
目次: 仏事の意義、法事について.
中学校などの歴史の勉強で『歎異抄』の名前を聞かれた方は多いと思います。詳しくはご存じなくても、浄土真宗或いは親鸞聖人と関係がある書物であるという漠然としたイメージはお持ちでしょう。このお書物は、実は親鸞聖人が書かれたものではありません。親鸞聖人のお弟子である、唯円(ゆいえん)という人のお書物であるというのが現在の定説です。書物の内容としては、「異なることを歎く」という趣旨です。
親鸞聖人は、関東に40才~60才頃までご滞在ですが、その後京都に帰られました。すると、親鸞聖人が仰っていないことを自己の立身のために勝手に主張する人々が出てきました。その勝手な主張は、親鸞聖人が仰っていない「異なっている」と「歎く」ことで、批判すると共にきちんとした教えを明らかにしようとしたのが当著書です。
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